始祖・石川詩音が二十年の相談のなかで語り、書き遺した言葉から、二十二句を選びました。
上から順に読んでも、開いたところから読んでも構いません。
映るだけなら、水たまりでも映る。
歪みなく映って、はじめて鏡である。
明鏡学の出発点となった祖父伝来の言葉。
映ることではなく、歪みなく映ることを目指すという学の芯を示す。
鏡は割れることより、曇ることを恐れなさい。
鏡師の家に伝わった戒め。
目に見える破綻よりも、気づかぬうちに進んでいく曇りにこそ目を向けよという教え。
世界が急に不親切になったと感じたら、まず鏡を疑いなさい。
世界を責める前に、まず自分の鏡の状態をたしかめる。
明鏡学のものの見方を、最も短く言い表した一句。
磨くのに、才能はいらない。
今日の一分がいるだけである。
才能や覚悟を求めず、今日の一分だけを求める。
朝の行「払暁の行」の心構えを、そのまま言い表した一句。
他人の鏡には、その人の曇りが混ざっている。
借りて覗くものではない。
他人の評価ごしに、現実をゆがめて見ない。
曇りのない目でありのままに観るという、明観の下地となる一句。
枯れた器から注ぐな。
まず自分を満たしなさい。
それは我儘ではない、順序である。
自分を満たすことを我儘と呼ばず、順序と呼ぶ。
慈愛の原則が説く「注ぐ順序」を示した一句。
石が運命を変えるのではない。
磨いた鏡を携えられぬ日は、石を携えよ。
石は、曇らぬ鏡である。
守護石についての基本の見方。
石に運命を委ねるのではなく、磨いた鏡を携えられぬ日の「代わりの鏡」として、身の傍らに置く。
祈るなとは言わない。
だが祈る前に、拭きなさい。
祈りを否定せず、順序を示す。
願う前にまず手を動かすという、明鏡学の実学としての姿勢を表した句。
心が濁った日ほど、鏡の前に立つのが億劫になる。
散らかった机と同じである。
だから一分でよい。
心が重い日ほど一分でよい、という現実的な導き。
払暁の行が「一分」と定められた理由を語る一句でもある。
曇りは敵ではない。
生きた証である。
生きて、曇って、磨いて、また生きる。
曇りを恥や敗北とせず、生きた証と見る。
磨き直せることを前提にした、明鏡学の人間観がにじむ言葉。
人は鏡を二枚持てない。
他人を映す鏡と自分を映す鏡は、同じ一枚である。
人に厳しい日は、自分にも厳しい。
他人への厳しさと自分への厳しさは、同じ鏡の上にある。
慈愛の原則の土台となった観察を語る一句。
磨き終わる日は来ない。
それを絶望と呼ばず、道と呼ぶ。
終わりのなさを絶望ではなく、道と呼ぶ。
磨き続けることそのものを歩みとする、この学の長い視野。
考えることをやめた日、人は他人の人生を生き始める。
考えることを手放したとき、人は他人の鏡で生き始める。
自分の頭で考え続けることへの、静かな促し。
自由とは、
思考の果てにある静けさである。
― 始祖 石川詩音
二十二の言葉は、読むためではなく、使うためにあります。
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